近年,生物の研究は,現象の観察という次元から,情報というキーワードを軸に,核酸に蓄えられた遺伝情報を扱うゲノミクス,そしてタンパク質(アミノ酸配列)に蓄えられた情報を探求するプロテオミクス研究などのバイオインフォマティクスへと研究の次元が変わりつつある.しかし,複雑な生化学反応ネットワークを持つ細胞とこの細胞が集団化したときに替えられた情報を理解するためには,ゲノム情報に基づいた研究のみでは,そのシステム自体が外界に対して開いた系であるがゆえに直接理解することはむずかしい.これは生物が持つ情報が100%先天的に持っていた情報のみからなるのではなく,環境との相互作用に基づいた後天的情報と組み合わされることで初めて生命体としての全情報がそろうためである.そして,DNAやタンパク質レベルでは,セントラルドクマで述べられているように,構造という先天的情報が必要とする情報のすべてであるのに対して,細胞は,この先天的情報と環境から受け取る後天的情報を併せて保持できる最小構成単位である.これこそが細胞レベルの研究が,単なるDNA,タンパク質研究の延長線上にない,別次元の研究分野であると考えられるゆえんである.このような観点から,細胞を基盤とした第三世代のバイオインフォマティクスであるセロミクス(cellomics)がにわかに脚光を浴びつつある(図42・2).

図42・2

「セロミクス(cellomics)」とは,“the entire complement of molecules and their interactions within a cell”(細胞内のタンパク質とその相互作用全体)と定義される.ヒトの3万5千の遺伝子,数十万のタンパク質の同定,相互作用が理解できるようになった現在,生命科学は,一つの遺伝子とその遺伝子産物の研究では理解することがむずかしかった生命システムの全体像を一時に包括的に理解する概念と方法論“omics”の時代へと急速に発展している.たとえば,先に述べたように,「トランスクリプトーム」が発生分化,刺激応答,環境適応の各段階で発現しているmRNA群の全セットを意味し,「プロテオーム」が特定の細胞内で翻訳生産されているタンパク質の全セットを意味しているのに対して,「セローム(cellome)」では,さらにmRNA,タンパク質の細胞(内)の時空間的分布,タンパク質・細胞の集団サイズ,相互作用の違いによってもたらされる非線形効果の情報の全セットを含めたものとなっている.細胞システムを予測可能な形で理解するためには,このような細胞が一定の集団サイズを超えたとき,あるいはタンパク質が細胞内に特定の局在をしたときに起こる非線形な応答を理解することが非常に重要である.これを実現するには,従来の(対象を平均化した)生化学的観点ではなく,1細胞単位で構成的に生命システムを理解する新しい観点からの研究が必要となってくる.そして「セローム」研究で得られる知見は,新薬の薬効・毒性を的確に細胞ベースで理解するために重要なだけでなく,再生医療・免疫機構などでの細胞分化・細胞機能発現の制御機構の理解に重要であると考えられる.

しかし,実際に,細胞や細胞集団の相互作用を理解するには,数多くの細胞から,特定の状態にある特定の種類の細胞を抽出し,これを孤立した状態,あるいは特定のほかの細胞と特定の空間配置で相互作用する状態において,その変化・影響を観察する必要があるが,これにはマイクロ加工技術を駆使した細胞の集団の構成や環境を完全に制御できるマイクロ空間システムの構築・利用が欠かせない.また,このようなマイクロ空間の中での各細胞の空間配置・相互作用を制御するためには,従米のようなマイクロピペットを用いた接触型ハンドリングに代わる非接触型の細胞ハンドリング技術が必要となってくる.

本節では,特に,集束レーザー光によって非接触に細胞などを捕獲する技術,光ピンセットを用いた細胞レベルでの計測技術を紹介し,また,光ピンセットが細胞に与える損傷の可能性についても議論したい.

42・2・1 オンチップ1細胞計測技術:マイクロ空間を活用したセロミクス計測システム3)~6)

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