41・4・1 歴史的経緯

集光したレーザー光を凝縮相の試料表面に照射すると,アブレーションとともに生成したイオンを気相中へ脱離させることができる.この現象を質量分析における試料イオンの生成に応用したものが,レーザー脱離イオン化(laser desorption / ionization : LDI)法である.生体分子試料にLDI法を用いた最初の試みは,1978年にPosthumusらによって報告されている40).その後,オリゴ糖41)42)や糖脂質43)44),合成ポリマー45)46)などについてLDI法が試みられた.これらの研究では,CO2レーザー(10.6 μm)など生体分子によって直接吸収される中赤外波長域の高出力レーザーを用いていたが,分子構造を破壊する効果が強いため,生体高分子のイオン化には限界がある.

1980年代後半になると,レーザー光を試料分子に直接吸収させるのではなく,レーザー光吸収剤(マトリックス)と試料分子を混在させてから,レーザー光を照射する考え方が登場する.Karasらは1987年,紫外波長域を吸収する数種類の有機化合物(tryptophane,nicotinic acid,3-nitrobenzyl alcohol, 2-nitrophenyl octyl ether)をマトリックスに選び,Nd-YAGレーザー(266 nm)を照射用レーザーに用いた,「マトリックス支援レーザー脱離イオン化(matrix-assisted laser desorption / ionization,MALDI)法」を発表した47).その際のマトリックスの効果として,(1)1光子吸収過程による高効率で制御性のよい光エネルギー変換,(2)試料分子の特性に合わせる必要のない適度な照射条件,(3)マトリックス分子励起種によるプロトン付加イオン生成の促進,が述べられており,ペプチド(mellitin,分子量2.8 kDa)などをレーザーで破壊することなく,プロトン付加分子として観測できることが示されている.しかし,この時点ではタンパク質イオンまでは観測されていない.

同じ頃,Tanakaらはコバルト超微粒子(UFMP)をグリセリン中に懸濁させたマトリックスとN2レーザー(337 nm)を用いて,タンパク質(carboxypeptidase-A,分子量34.5 kDa)のイオン化に成功した48).この方法は現在のMALDI法とはマトリックスの材質こそ異なるが,同じ原理によってタンパク質分子が破壊されることなく,イオンとして気相中に取り出せることを実証するブレークスルーであった.スウェーデン王立科学アカデミーの言葉を借りると,「低エネルギーレーザーを使用することで,ガス状の高分子イオンが生成することを示し,それは当時予想されないことであったが,すぐにレーザー脱離イオン化の科学者の気付くところとなった」.この発見を契機として,MALDI法による高分子の質量分析は急速に本格化した.

Tanakaらの発表から少し遅れて,KarasとHillenkampはnicotinic acidマトリックスと4倍波Nd:YAGレーザーを用いたMALDI法により,タンパク質イオンの観測を報告している49).有機酸結晶をマトリックスに用いるこの方法は,イオン信号の持続性と再現性を実現し,一般的なMALDI法として定着した.その後,様々なレーザー波長とマトリックス化号物が試験され,1990年代初頭までに現在のMALDI法の技術的基礎が完成する.MALDI法を組み込んだ市販の質量分析装置もこの頃に登場し始めた.

41・4・2 MALDIの原理

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