1980年代初頭,いくつかの研究グループにより独立に,ポリメタクリル酸メチル(PMMA)93),ポリエチレンテレフタレート(PET)94),ポリイミド(PI)95),ニトロセルロース96)など,さまざまなポリマーに紫外域のパルスレーザー光を照射することにより,表面のエッチングが起こることが報告された.このようなエッチング現象は,照射部周囲における熱効果が見られないことから新規な光化学反応と位置づけられ,「アブレーション(爆蝕)」と名づけられた94).初期の研究については,いくつかの総説にまとめられている97)~99).それ以来,紫外域で高出力のエキシマレーザーが商業的に開発されたのと相まって,この現象に対する理学的興味はもとより,ポリマーの表面改質,エッチング,あるいは形成加工困難なポリマーの薄膜化などの工学的要求から,ポリマー固体表面へのレーザー光照射効果についての系統的研究が盛んにおこなわれるようになった.ポリマーのレーザー化学に関するいくつかの研究アプローチのうち,本節で取り上げるものの概念図を図36・18に示す.

図36・18

本節では,まず基礎的見地からレーザー光とポリマーとの相互作用のメカニズムに関して,光化学過程および光熱過程の基本原理を述べるとともに,特にアブレーションに関してメカニズムおよび飛散物質(フラグメント)の同定について概説する.次に応用的見地からレーザー光照射によるポリマーの表面改質に関連した研究事例をいくつかあげる.さらに,ポリマー薄膜作製および生体材料のアブレーションについても紹介する.最後に,レーザーを用いた2光子吸収による光重合を利用したマイクロ・ナノ立体構造形成についても若干触れる.

36・4・1 ポリマーのレーザー光化学の基礎

(1) 光化学過程と光熱過程

光反応は,物質に光が吸収されることにより始まる.一般にポリマーをはじめとする有機固体は紫外,遠紫外部に強い吸収帯を持つ.エキシマレーザーの発振波長はこの領域にあるため,加工・表面改質に最適である.ポリマー自体に吸収のない波長のレーザー光でも,光を吸収する分子を増感剤として添加したり,高強度のレーザー照射による多光子吸収を利用することにより,表面あるいは内部変化を起こすことができる.

パルスレーザー照射により表面の形態変化が起こる原因として,光化学過程94)と光熱過程95)が提案されている.光化学過程は,光励起によってラジカルなどが生じる場合を指す.エキシマレーザーから出力される光子のエネルギーはポリマー分子内のさまざまな原子間の結合エネルギー(C-C:3.59 eV,C-N:3.03 eV,C-O:3.64 eV)と同程度以上である.1光子のエネルギーがこれらの結合に集中すれは光エネルギー的には切断が可能である.生成したラジカルなど反応中間体は雰囲気ガスと反応し,新たな機能化表面を生み出す可能性もある.一方,光熱過程は,光エネルギーがすべて分子の振動エネルギーに転換する場合である.光を吸収した分子はきわめて高い振動励起状態になり,この振動エネルギーは周囲の分子へ10~100 ps程度の時間内に伝わり,結果として国体表面を高温状態に導く.現実にどちらの過程が支配的であるかは,用いる物質,レーザー光の波長,強度,パルス幅などに依存し容易には決められない.光吸収が強く起こる波長の光を用いると,光熱過程でも反応領域を10 nm程度の表面層に限定できる.また,光熱過程により生成する瞬時の高温状態の温度はきわめて高く,通常の熱反応とは異なる生成物を与えることも指摘されている100)

(2) ポリマーのレーザーアブレーション

ポリマー表面に,しきい値以上の出力のパルスレーザー光を照射すると照射部分の表面および内部で瞬間的なポリマーの結合開裂が起こり,外部へさまざまな分子種が爆発的に飛び出す.この現象をアブレーションと呼び,エッチングをはじめポリマーの優れた加工法として注目されている.その過程が,たとえばシャドウグラフ法などにより詳細に調べられている101).アブレーションにはパルス幅がナノ秒オーダーであるエキシマレーザーがよく用いられるが,その場合のメカニズムも前項同様,光化学過程および光熱過程が重要な役割を果たす102)

一般に,フラグメントの飛散速度Iが式(36・1)のようにフルエンス(単位面積当りのレーザー出力)Fに対して対数関数的に飽和していく場合,光化学的である.ここでFthはアブレーションが起こり始めるしきい値である.

式36・1

これに対して式(36・2)のように指数関数的に増える場合(βは定数),光熱過程とされている.

式36・2

実際はそれらを分離することはむずかしく,両者が共存している場合が多い.

両者の共存が直感的に理解できる例として,図36・19に,さまざまな分解ステップにより鎖長の異なったポリエチレンに対する融点と沸点に関する相図を示す100).横軸はポリエチレンの分解ステップ数,縦軸は温度である.黒丸は沸点,+は融点を示している.純粋な光熱過程は結合の切断あるいは分解なしに固相から気相へ温度ジャンプすることにより生じる.図中では垂直方向の矢印によって示されている.一方,ポリマーが光化学過程による結合開裂を経て分解する場合,水平方向の矢印によって示されるように温度変化することなく小さな分子となって固相から気相へと移行する.現実には温度上昇は熱化学反応を誘起し,また光化学的な分解は熱を生むため実際のアブレーション機構はこれら両方の過程を含んでいると考えられる.それゆえ,レーザーアブレーシヨンにおける実際の変化は図において左から右へ対角線状に伸びる矢印で示される.

図36・19

一般に,熱効果が支配的(熱モード)になるとアブレーションによりエッチングされた周辺部にリムと呼ばれる盛り上りが生じるなど,工学的見地から問題がある.フェムト秒レーザーなと、極短パルスを用いることにより熱の拡散を抑制することができ,良好なエッチングパターンが得られる103).また,ポリマー種によっては熱モードでも近赤外のレーザーを用いて乱れの少ないパターンが得られるという報告もある104)

(3) ポリマーのアブレーションにより生じたフラグメント種の同定

ポリマーをアブレーションすることにより生じたフラグメント種を質量分析により同定することができる.これまでPMMA105)~109)をはじめ,ポリカーボネート(PC)110)111),PI111)112),PET111)113),ポリスチレン(PS)108)114),ポリ(α-メチルスチレン)(PαMS)110)1l1)115),ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)116)117)など各種ポリマーのアブレーションによるフラグメント種が同定されている118).フラグメント種の同定例として308 nmのレーザー光でPMMAをアブレーションした際に生じたフラグメント種を193および248 nmのレーザー光で多光子イオン化することにより得られた質量分析結果を表36・1に示す118)119)

表36・1

解析するうえで多光子イオン化の際のフラグメンテーションを考慮する必要があるが,メタクリル酸メチル(MMA)モノマーの同条件による多光子イオン化の際のフラグメンテーションと比較することにより,308 nmのレーザー光を用いた場合,PMMA表面から飛散する中性フラグメント種はモノマーやダイマーであることがわかっている.

ポリマーのアブレーション過程はアブレーション条件により異なる.たとえばPMMAの場合120),条件により飽和一重結合である主鎖上に二重結合が生じて紫外光が強く吸収されることにより結合が切れるインキュベーション過程108),モノマーやダイマーがポリマー鎖の端から離れていくアンジッピング過程109)119) オリゴマーが形成される過程107)に分類されている.

36・4・2 ポリマーのレーザー光化学の応用

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