26・1・1 時間・周波数標準

時間の単位である「秒」は「セシウム133の原子の基底状態の二つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の9192631770倍の継続時間と定義されている(1967年第13回国際度量衡総会の決議).「周知=1/周波数」の関係が成り立つことから,「時間の標準」は同時に「周波数の標準」でもある.このため原子時計は原子周波数標準器とも呼ばれる(厳密には原子周波数標準器のうちl秒信号を生成し表示部を持つものを原子時計と呼ぶが,簡単のため以下ではまとめて「原子時計」と呼ぶ).特に秒の定義を最高精度で実現できる周波数標準器は一次周波数標準器と呼ばれ,現在,独・米・仏・日・加・露・伊の7か国で維持されており,これらの一次標準器が世界共通の時系である国際原子時(TAI)および協定世界時(UTC)を決定している.

セシウム(Cs)原子時計の原理を図26・1に示す1)2).原子は状態間を遷移する際に決まった周波数の電磁波を吸収あるいは放出する.二つの超微細準位のうちのエネルギーの低い状態にある原子を状態1,高い状態にある原子を状態2と呼び,それぞれの状態の原子を図のように下向きと上向きの矢印で表す.超微細構造間のエネルギー差は小さいため,原子は状態lと状態2にほぼ均等に分布している.まずCs原子(融点28°C)を炉に入れて100°C程度に加熱しビーム状に飛ばす.原子ビームを機気勾配を持つ磁石Aに通過させると,異なる磁気モーメントを持つ状態1と状態2の原子は逆向きの力を受けて空間的に分離され,状態2の原子のみを選別できる.選ばれた状態2の原子を逆U字型のマイクロ波共振器(ラムゼー共振器と呼ばれる)に通過させてマイクロ波を照射すると状態2から状態1へ遷移する.この原子に第二の磁石Bを通過させ,選移を起こして状態1になった原子が到達する場所に原子の検出様を設置しておく.
図26・1

遷移確率は,原子の選移周波数が照射する電磁波(マイクロ波)の周波数と一致したときに最大になるため,横軸に電磁波の周波数,縦軸に検出される原子数をプロットすると図右上の点線内に示すような共鳴曲線が得られる.そこで,検出される原子数が最大になるように発振探の周波数を制御すれば,発振器の周波数は原子の遷移周波数とつねに一致していることになる.この制御された発振器から発生する電磁波の9192631770周期ごとに秒針を1秒ずつ進ませることでCs原子時計が実現できる.このように磁石で原子の状態選別をおこなう方式を磁気偏向方式と呼ぶ.その後,Cs原子のD2線の波長に一致した852 nmの半導体レーザーが得られるようになったため,状態選別を上記のような磁石ではなく光でおこなう,「光ポンピング方式Cs原子時計」が開発された.光ポンピング方式では原子の軌道が直線状であるため磁気偏向方式と比較してより高い精度が実現されている3)4)

原子時計の性能を表す指標として,「周波数安定度」と「不確かさ」がある.「周波数安定度」は発振器の周波数がどのくらい安定に一つの値にとどまっているか,「不確かさ」はその一定にとどまっている値がいかに正確に定義値を実現しているかを表す.図26・1の説明からもわかるとおり,発振器の周波数は共鳴線の中心に制御されるので,共鳴線の特性が制御された発振器の周波数安定度を決める.図26・1の共鳴線のスペクトル線幅をΔν,遷移周波数をν0,1 Hzの帯域幅での信号対雑音比を(S/N)1Hzと表し,発振器の周波数を測定する際の平均時間をτとすると,周波数安定度を定量的に表現するために用いられるアラン標準偏差は,

式26・1

と表される1).標準偏差は平均値の周りの周波数のばらつきを表すものなので,この数値が小さければ発振器は安定であり,一定の周波数値にとどまっていることを意味する.原子と電磁波が相互作用する時間をTとすると,不確定性関係から,Δν・T~1が成り立つ.したがって,Tが大きければ大きいほど,すなわち原子に電磁波を照射する時間が長ければ長いほど共鳴線幅は狭くなる.一方,不確かさに影響を与えるものとしては,原子のドップラーシフト,ゼーマンシフト,空洞共振器による周波数引込み,重力赤方変位,常温の黒体放射による光シフト(ACシュタルクシフト),などがあげられる.秒の定義は1個の静止した原子に対するものであるため,これらの周波数シフトは補正されなければならず,この補正の限界が最終的な標準器としての不確かさを与えることになる.

最近では図26・2に示すように多数のCs原子をレーザー光の放射圧を用いて捕捉し,レーザー冷却の手法により原子集団を2 μK程度の温度まで冷却し,これを上方に打ち上げることにより長い滞空時間(約1秒),すなわち長い相互作用時間を確保し,相互作用時間が数ミリ秒である原子ビーム方式に比較して1桁以上小さな不確かさを実現する「原子泉(atomic fountain)方式セシウム周波数標準器」の開発が各国で進められている5).その不確かさは10-15を切りつつある.これは,もし時計として連続的に動作させた場合,2000万年に1秒も狂わないような精度である.一般相対性理論によると重力が大きいところでは時間がゆっくりと進むが,この精度は標準器を10 m持ち上げると相対論による時の刻みの変化がわかるほどのものである.
図26・2

原子時計を構成するためには,必ずしも図26・1のようなCs原子ビーム方式である必要はなく,原子集団(図の場合は原子ビーム,以下同様),外部からの電圧で発振周波数を制御できる発振器(voltage controled oscilator:VCO),原子状態の準備器(磁石A),原子状態の検出器(磁石B),の四つがあれば,別の原子や手法を用いることも可能である.もし,Cs原子よりも安定で不確かさの小きい発振器を構成できる原子種やイオン種,またそのためのより良い手法が見つかれば,将来は「秒の定義」も変更される可能性がある.

セシウム原子H寺計では遷移周波数が9.2GHzのマイクロ波が用いられるが,原子やイオンの光領域の遷移を用い,レーザーをVCOとして用いれば光を用いた原子時計を構成することも可能である.式(26・1)からわかるとおり,選移周波数が高いほど安定度の向上には有利である.従来は,たとえ光領域で正確な発振器が実現されても光周波数が数百THzと高いため,これから周波数標準や時計として必要な10MHzや1秒パルスを生成するのは困難であった.しかし,最近の技術革新により,フェムト秒受動モード同期レーザーを用い,その出力をフォトニック結晶光ファイバに通過させることにより,1オクターブ以上にわたる広帯域の光を発生させられることが実証された.これを利用してマイクロ波と光をコヒーレントに結びつける簡便な周波数チェーン(光コムあるいはフェムトコムと呼ばれる)が実現され6)7),市販の装置さえ得られるようになった.光コムの開発に刺激され,次世代の秒の定義の改訂を目指した光原子時計の開発も活発になっている.1個のイオンを電極にトラップして長い相互作用時間を確保することで安定度の改善と不確かさの低減を図るイオントラップと呼ばれる方式では,水銀イオン8),インジウムイオン9),イッテルビウムイオン10)11),ストロンチウムイオン12)など,また,光の放射圧でトラップされた原子集団を用いた方式では,カルシウム原子13)14)などの研究が進められている.光でトラップされた原子では光シフトが発生してしまうが,この周波数シフトを相殺する光格子と呼ばれる新しい手法が提案きれ,ストロンチウム原子15~17)やイッテルビウム原子18)19)などを用いた光格子時計の研究も進められている.自然幅が1 Hzあるいはそれ以下の光領域の遊移を有する原子やイオンを用いたこれらの原子時計では,10-18の不確かさも期待されている.このようなの高精度な原子時計を利用して,大統一理論から予想される基礎物理定数の時間変化の検証実験などへの応用研究も活発におこなわれている20)21)

26・1・2 長さの計量標準

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