【1996 年 R. Taylor を Imperial College に訪問したときのエピソード】
 TiS レーザーが超短パルスレーザーとして意識されるようになるには以外と時間がかかっていたというエピソードを紹介する。研究者が語るという講義タイトルにあるように筆者個人の経験から語ることにする。1996 年 11 月に英国の NPL、Imperial College を訪問する機会があった。NPL では重力波検出用周波数安定化レーザーの講演をしたが、同時に Imperial College に P.Knight や Hattingson、そして R.Taylor を訪ねた。彼の部屋のドアに論文のようなものが張ってあるので、あれは何かと訪ねたら、あれは昔自分が TiS レーザーで超短パルスを発生するという計画を出したところ、オックスフォード大学の大物教授が、TiS レーザーは波長可変レーザーではあるが、CW モードロックなどが実現するはずがないので、超短パルスレーザーなどになる可能性はない、と断罪して、研究費請求を拒否した Reject Letter だという。以下に大物教授が無能なのかを示すために、教授室(当時は助教授だったかも知れない)のドアに張り出して、学生にも見せているのだと言った。おかげで、彼は研究費には恵まれないそうで、当時、彼の研究室を支えているのは、IPG から送られた Popov 達、共同研究者でロシア人が主体となっていた。R. Taylor はここに示すように、1982 年には TiS の CW モードロックに成功しており、提案が正しかったことを証明した。Taylor 達の 1982 年論文を見ると、この段階でサブ50fs という超短パルスを発生していて、これは本物の研究だということが分かる。英国や欧州における研究競争の中にもやはり人間関係が深く入り込んでいることを教えられたエピソードである。

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