【De Maria によるガラスレーザーのモードロック研究 1963-1966】
 筆者の学生時代 1960 年代のモードロック研究で印象に残る研究者がいます。UnitedArircraft の DeMaria さんで、当時、Nd:POCl3 液体レーザーやガラスレーザーの研究をしていた筆者にとって、ピコ秒超短パルス発生の分野で活発な研究者で、学生から見るとスター研究者に見えた記憶があります。彼の研究を見てみると、最初は超音波回折を利用した AOM を光学シャッターに応用した研究から始まり、その後、それを Ar+レーザーに応用し、規則的なモードロックパルスを発生させました。その後、固体レーザーのモードロックに挑戦して、AOM から可飽和吸収色素による高速スイッチへと発展させました。1960 年代には固体レーザーのモードロックはルビーレーザーやNd:YAG レーザーでは実現されていましたが、Nd:ガラスレーザーでは不安定で、なかなかモードロックがかからない状態が続いていました。当時の研究者の間では、均一幅を持つ結晶レーザーに対して、不均一なスペクトル広がりを持つガラスレーザーではエネルギー引き出しが均一に行なわれないので、モードロックは不完全に終わると困難視をしていました。ファイバーレーザーでは完全なモードロック発振ができることが分っている現在では、結果が分っているので、ガラスレーザーも完全なモードロックが可能だと分っていますが、実験データが不安定な当時は、いろいろな議論があったのです。
 筆者がもっとも強く印象づけられた論文は1966 年の可飽和色素を用いた自己モードロックの論文でした。この論文では,可飽和色素(KODAK 9740)を用いたモードロックは EOMや AOM のような能動素子を用いないモードロックという意味で、自己モードロックと表現しています。1960 年代は現在のようなフーリエ限界パルスという概念がなく、ただ、単純にパルス幅を狭くするには、広帯域利得が必要だという漠然とした考えでした。sech2型スペクトルなら Δ ν Δt=0.32 というような同じスペクトル幅でもスペクトル形状によってパルス幅限界が変わるということは定式化されていませんでした。ともあれ、当時、固体レーザーの中で最も広いスペクトル幅を持つのはガラスレーザーでしたが,そのガラスレーザーは小さな結晶の寄せ集めのようなもので、場所によって異なった結晶場を持っています。そのためスペクトルは不均一に広がっており、全体としての利得スペクトルは100A 以上と広いものの、その中で単色光で引き出せるスペクトル幅は通常の結晶レーザーの幅、10 A 以下で、光増幅の過程でスペクトル・ホールバーニングが起ります。この結果、幅広いエネルギー幅に存在する多くのマルチモードを果たして同時に、そして平等な条件でロックできるとは簡単にいえません。
 この論文が画期的だったのは、モードロックパルスの形成過程で、パルス幅が変化していることを観測したことです。Q スイッチパルスの中で発生するモード同期現象は、右にパルスの立上がり部分を拡大して示しましたが、レーザー光が強くなるにしたがって、同期されるモード数が増加してゆき、パルス幅は時間と共に狭くなるということを実証的に示した点でした。それまでアクティブモードロックなどで研究されてきたこともあり、定常的なモードロック状態を議論していました。そのため、定常状態になった段階のパルス幅、ピーク値を対称にしていた研究が、発振立上がりと関係づけられて、過渡的に捉えられるようになりました。今から考えると、当時のモードロック発振は本当に位相同期が固まった状態、すなわち完全なモードロック状態ではなかったことが分ります。いわばモードロックの形成過程を観測していたのでした。しかし、当時のピコ秒パルス発生はすべて Q スイッチパルスの中で発生しており、本当の安定なレーザー発振状態、すなわち CW 発振における位相同期ではないので、本質的にフルの位相同期状態を実現するのは不可能だったのでしょう。逆にいうとたくさんの縦モードが互いにお互いを縛りながら安定化しているモードロック発振とは、単一周波数 CW 発振と対極にある多モード CW 発振の新しい安定状態を意味していることが、今では理解できるようになりました。

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