世界で最も有名な科学者の一人であるアインシュタインは光の粒子と波動の二重性を提唱し、光電効果の理論的解明によってノーベル物理学賞を受賞した。チューリッヒ連邦工科大学で学んだ後は特許庁へ就職したが、1905年には博士号取得を目指して多くの論文を執筆している。この年は奇跡の年として知られ、26歳にして彼の業績のうちでも非常に重要な「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」などについてまとめあげている。
また、光電効果は19世紀までの物理学では説明不可能であったがアインシュタインの論文『光の発生と変換に関する1つの発見的な見地について』で導入された光量子仮説によってはじめて理論的な説明がなされた。ヘルツによって発見され、ハルヴァックスやレーナルトらが進めた光電効果の研究がアインシュタインの手によって完成され、実を結んだのである。
アインシュタインと日本は様々な関わりがあることはよく知られている。彼は1911年に開校した東北帝国大学理科大学の教授に着任しないかと依頼を受けている。彼がこの依頼を断ったため実現には至らなかったものの、その後も何度か日本を訪れている。ノーベル受賞の電報を日本に向かう途中の船で受けており、日本に到着したアインシュタインは熱烈な歓迎と賛辞を受けた。
日本に原爆が落とされたことを非常に悲しんでおり、当時アメリカにいた湯川秀樹のもとを訪ね、「何の罪もない日本人を傷つけてしまった。こんな私を許してください」と激しく泣き出し、何度もお辞儀したという逸話がある。晩年もし原爆が落とされることがわかっていたなら自分が発見した公式は破棄していただろうと語っている。これらを受けて湯川は、世界平和なくして学問はありえないと考えたという。非常に多くの功績を残しながら科学を世界の一部と考えたアインシュタインの倫理観はその発見とともに後世に語り継がれることだろう。
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