TOPTICA、レーザのスタートアップから成熟企業への進化

アンドレアス・ソス

1998年、数年後にノーベル賞を受賞したテッド・ヘンシュ氏(Ted Haensch)の持つ技術ノウハウにより、独トプティカ社(TOPTICA Photonics)は誕生した。トプティカグループの従業員数は現在、約450名。同社は意図せずして、テクノロジーの夢をビジネスの成功に変えるという学術的スタートアップのロールモデルになった。トプティカ社の共同創業者であり社長のウィルヘルム・カエンダース博士(Wilhelm Kaenders)とトーマス・レナー博士(Thomas Renner)に、創業と継続的な成長を実現した同社のサクセスストーリーを聞いた。

―どのように起業したか?
ウィルヘルム博士:実は、会社設立は2番目のステップだった。最初に私は、医療市場向けのエキシマレーザのメーカー、TuiLaser社にアプローチしたが、ここには半導体レーザの開発が期待されていた。しかし、私には理化学系レーザに取って代わる他のアイデアがあった。大学時代からの友人に電話をして、「自分自身で作ったものを買ってみないか」と持ちかけた。
 実のところ、我々はガレージではなく、浴室で起業した。小さなアパートの浴槽が最初の倉庫だった。日本や韓国を中心に数件の見込み客があり、さらにドイツの長距離干渉計の研究プロジェクトに我々のレーザが組み込まれた。

―どのような成長を思い描いていたか?
ウィルヘルム博士:5年以内に500万ドイツマルク(現在は250万ユーロ)の売上達成という夢があった。野心的な目標で勇気があったものだ。ところが、思いがけない出来事で、事態が急展開した。我々の技術に関連したものにノーベル賞が授与された。さらに、SDL社のような半導体レーザ企業が市場から撤退し、我々にチャンスが巡ってきた。
 理化学市場だけでなく、1998年のスタートと同時に、光データストレージ用のテスト機器の分野にも参入した。これは、日亜化学工業に近づくきっかけとなった。日亜が青色窒化ガリウムダイオードでこの市場に参入するのに協力させてもらった。日亜は、当社から非常に柔軟性の高いテスト装置を購入し、その副産物として、この新しい青色発光ダイオード(青色LED)を、まず理化学製品に、次に産業向け製品に取り入れた。科学の世界で、光データストレージ製品のクロスマーケティングを実施した。まもなく予想をはるかに超える成果を上げた。今はユーロで数えているが[1ユーロ=1.96ドイツマルク]、5年後には500万マルクを超えた。

―トーマス博士は、大企業であるRofin-Baasel社からトプティカ社に転職した。なぜ、大企業から小さな会社に移ったのか?
トーマス博士:多くのアイデアを持っていても、それを実行に移せないと、どこか不満が残り、別の機会を探してしまうものだ。そんなとき偶然、スタートアップのトプティカ社に出会った。その企業哲学と文化を気に入った。私がトプティカ社に入社した2005年当時、従業員数は約50名、売上高は約1,000万ユーロだった。現在ではその10倍の規模になったが、今でも企業文化はそのままだ。
 ただ今は、自分自身の最初のモチベーションを時々思い出さなければならない。今は、若い人たちの意見に耳を傾け、励まし、手助けすることが求められているからだ。

―ウィルヘルム博士、トプティカ社と同規模のレーザ企業のほとんどは、この20年の間に売却されている。今までに撤退を考えたことはあったか?
ウィルヘルム博士:トプティカ社は私にとって夢の実現であり、この24年間で素晴らしい会社に成長した。我々は、常に新しいアイデアを生み出すことで、自力で再生できる成長を目指してきた。確かに、昔に比べてイノベーションを組織的に行うようになった。しかし、このまま撤退して大企業の傘下に入るのは、時期尚早とみている。

図1

図1 2022年にデザインが一新されたトプティカグループのロゴマークを紹介するウィルヘルム ・カエンダース博士(左)とトーマス・レナー博士(右)。

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出典元
http://ex-press.jp/wp-content/uploads/2022/09/042-044_top_interview.pdf