芸術や考古学の謎を解く分光学

ロバート・V・キメンティ

芸術の保存、文化遺産と考古学の研究は、さまざまなタイプの分光法における重要なアプリケーションである。

芸術と考古学(Art and Archaeology:A&A) の分野では、ラマン分光法(Raman Spectroscopy)、レーザ誘起破壊分光法(Laser-Induced Breakdown Spectroscopy:LIBS)、蛍光X線(X-Ray Fluorescence:XRF)、反射率などの幅広い分光法が使用されている。レーザコミュニティのほとんどは、芸術の保存、文化遺産と考古学の研究を主要な分光法的用途とは考えていないが、これらの分野における分光法の歴史は40年以上前にさかのぼる。
 例えば1979年に「保存研究(Studies in Conservation)」は、紫外(UV)可視分光法と赤外線(IR)分光法の両方を使用して、ステンドグラスの保全に使用されるエポキシ樹脂の詳細な分析を発表した(1)。同じ年に「分析化学(Analytical Chemistry)」に掲載された記事で、現在ラマン顕微鏡として知られている「レーザラマン分子マイクロプローブ」と呼ばれる技術が説明され、考古学が重要なアプリケーションとして挙げられている(2)。最新の例を図1に示す。ここでは、光ファイバ反射分光法を使用してさまざまな顔料を分類している。
 今日、分光法と保全科学の世界は非常に関係し合っていることから、2019年に考古科学協会(Society of Archaeological Sciences:SAS)は分析化学分光学会(Federation of Analytical Chemistry and Spectroscopy Societies:FACSS)のメンバーとなった。
SASのFACSSへの加入は、2020年10月11~16日に開催された2020SciX会議の主要テーマに文化的及び考古学的分析を選択するという決定に貢献した。A&Aにおいて光学分光法の役割が高まっていることをより深く理解するため、会議前に発表者の何人かにインタビューした。

図1

図1 プルシアンブルー(青)、合成ラピスラズリ(緑)、合成アズライト(紫)の基準スペクトル。(提供:伊マダテック社(Madatec))

なぜ分光法を使用するのか?

A&A分野における分光法の重要性について尋ねた時、アートキュレーターで化学の教育者であるマッケンジー・フロイド氏(McKenzie Floyd)は、「A&A研究分野は、非侵襲的で非破壊的な分析方法が必要なことから、光学分光法と特に関係がある」と答えた。同じ質問に対して、米カリフォルニア大ロサンゼルス校(University of California Los Angeles:UCLA)の考古学・民族誌資料保存学科の博士号取得資格者であるモウピ・ムコーパデャイ氏(Moupi Mukhopadhyay)は、「考古学と芸術の技術的研究の実践は、最小限の侵襲という原則にいっそう移行する保存倫理と結びついている」と述べた。ムコーパデャイ氏はさらに次のように付け加えた。「光学分光法は、科学的調査の破壊的で侵襲的な方法を使わず情報を取得できるような関連研究のためのオプションを提供する」。
 インタビューした各プレゼンターは、光学分光法を使用する主な動機として非破壊検査を挙げた。ただし、破壊検査と非破壊検査の違いの解釈は、分野内で大きく異なる可能性がある。ベルギーのゲント大(Ghent University)のピーター・ヴァンデナビール教授(Peter Vandenabeele)、及び米セントアンセルム大(Saint Anselm College)の教授で2020 SciXプログラム委員長のメアリー・ケイト・ドナイス氏(Mary Kate Donais)は、2015年のレビューでこの問題について幅広く議論した(3)。
 この問題を明確にするために、彼らは小さな損傷を引き起こす技術を「微小破壊的」と定義した。それに対して、非破壊技術を「分析中にサンプルを消費しない方法」と定義している。例えば、IR反射分光法は一般に非破壊技術と見なされるが、レーザブレーションを用いるLIBSは微小破壊的である。ラマン分光法は、励起レーザの波長と強度に応じて、どちらのカテゴリーにも分類できる。
 芸術と考古学はしばしばひとくくりにされる。だがこれらの2つの間には、ダメージに対する耐性を左右するような違いがあることを指摘することが重要である。その違いが特定の分光技術を実行できるかどうかを決定する。米ゲティ保存協会(Getty Conser-vation Institute)のシニアサイエンティストであるカレン・トレンテルマン氏(Karen Trentelman)へのインタビューで、同氏は、考古学者はしばしば主に社会学的な疑問に答えるためにサンプルからデータを収集しようとしていると説明した。いったん美術館に置かれると、オブジェクトそのものが最も重要なものとなり、そこに含まれる情報は重要ではなくなる。従って、「独創性を維持する」ことが、オブジェクトをどのように役立たせるかにおいて第一の動機となる。芸術の損傷許容度は非常に低いことから、LIBSのような微小破壊技術は芸術ではめったに使用されないが、考古学では頻繁に使用される。

表面の下を見る

分光技術は、研究者が物体の表面を分析することに加えて、表面の下を見ることができるようにする。最も素晴らしい例の1つは、レンブラントの「軍服を着た老人」である(図2a)。ゲティ保存協会のチームは、ベルギーのアントワープ大(University of Antwerp)及び蘭デルフト工科大(Delft University of Technology)と協力して、初めてマッピングXRF(MA-XRF)を用いてこの絵画を分析し、下の絵の基本構造を見つけ出した(4)。
 最近、彼らは米ナショナル・ギャラリー・オブ・アート(National Gallery of Art)のジョン・デラニー氏(John Delaney)と協力して、米サーフェス・オプティクス社(Surface Optics)の変調近赤外線(near-IR)イメージング分光計を用い、900 ~ 1700nmのスペクトル範囲でハイパースペクトルIR反射率画像を取得した(図2b)(5)。MAXRFとハイパースペクトル画像を組み合わせることにより、下の絵のコントラストが改善され、さらに複数セットの目が発見された(図2には示されていない)。これは、レンブラントが諦めて最初からやり直す前に何度か努力したことを示している。
 空間オフセットラマン分光法(Spatially Offset Raman Spectroscopy:SORS)は、芸術作品の表面下の構成を分析するのに有効なもう1つの方法である。SORSは、励起レーザと収集パスの間の可変空間オフセットを使用して、表面下のラマン散乱を測定する。SORSはすでに生物医学及びセキュリティのアプリケーションで使用されているが、最近になって保存科学に適用された。2014年、イタリア学術会議の遺産科学研究所(National Research Council’s Institute of Heritage Science:ISPC-CNR)のクラウディア・コンティ氏(Claudia Conti)のチームは、伊ミラノ工科大(Polytechnic University of Milan)のコンティ氏の元指導者であるジュ ゼッペ・ゼルビ氏(Giuseppe Zerbi)、SORSの発明者で英ラザフォード・アプルトン・ラボラトリ社(Rutherford Appleton Laboratory)のパベル・マトセック氏(Pavel Matousek)と共に、薄いペイント層を分析するため、彼らがマイクロSORSと呼ぶSORSの一種について披露した(6)。

図2 (a)レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz, van Rijn)、軍服を着た老人(An Old Man in Military Costume)、1630 ~ 31年、パネルに油彩、65.7×51.8 cm。J・ポール・ゲティ美術館(J. Paul Getty Museum) 78.PB.246。(b)下の絵を強調するために180°回転したハイパースペクトル赤外線(IR)画像(5)(著者の許可を得て掲載)。

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出典元
http://ex-press.jp/wp-content/uploads/2021/06/034-037_noninvasive_spectroscopy.pdf