VCSELによる fNIRSの高分解能化

石井稔浩、髙橋陽一郎、下川丈明、山下宙人

近年、VCSEL(面発光レーザ)は、スマートフォンの3D顔認証、ライダなど、応用範囲が広がっている。現在もVCSELの潜在能力を活かした新規アプリケーションの研究が盛んに行われている。本稿ではVCSELの技術的な強み
の解説と、そのアプリケーションの展開、特に、後半では近赤外光による脳機能計測(fNIRS: functional near-infrared spectroscopy)に応用した例を取りあげて詳細を紹介する。

発光レーザ(VCSEL)

 VCSELは、以前はパソコンの光学式マウスや光通信などの応用が知られているが、ここでは、最近の研究例に限定する。

「低消費電力」→スマートフォン(3D個人認証)

VCSELの特徴は、結晶成長する際の基板方向に垂直に共振器を形成することで、共振器長を単一モードまで小さくすることができて、光閉じ込めが強く低しきい値で発振するレーザである。端面LDやLEDに比べ、レーザ発振を起こすしきい値が低いことから、電流に対する光利用効率が格段によい。このため、電池駆動するようなスマートフォンなどには最適である。スマートフォンに利用する3D個人認証用の光源としては、格子状に非常に多くの発光点(ドットパターン)を作り、その格子が被写体上の凹凸によって歪むことをカメラ撮影することで、その被写体の凹凸、つまりは3次元情報を得ることができる。VCSELはLEDと異なりコヒーレント性が高いため、HOE(ホログラム)によるドットパターンを容易に形成できる。GaAs基板上に平面上に多数配列し、同一平面に電極も形成できることから、ウエハ上で通電検査も可能で、製造コストを低くすることができ、スマートフォンに搭載することも可能となった(1)。省電力であることは、ウェアラブルセンシングにも活かされる。後述するようにLEDとは異 なるコヒーレント性 もVCSELにはあるため、ドップラー効果を利用した血流の検出が可能で、低消費が必要なウェアラブルセンサも研究されている。

「波長安定性・ビーム品質」→原子時計、大出力、TOFセンサの光源

VCSELは縦モードが単一なため、隣接する縦モードへのホップを起こさない。このため、環境温度が変化しても、波長が大きく変化するモードホップは起きない。波長の温度依存性も端面LDよりも1ケタ程度小さいことが知られており、環境温度を制御することで、共振器長をわずかながら変化させ、制御良く任意の波長を得ることができる。この特徴を活かした応用として、小型原子時計が研究されている(2)。小型原子時計ではガスセルに封入されたCsなどの吸収線に波長を合わせることができている。モードホップが起きず温度による波長変化が小さいことは、大出力でVCSEL自身が高温に発熱する場合の温度上昇にも強いことになる。したがって、発光領域を2次元で高密度に集積することで、100W以上の大出力の光源を実現できる。この光源を使用した防犯カメラ用の光源(3)やエンジン点火プラグに応用する研究も進められている(4)。VCSELのビームは発散角が狭く、かつ、ビームのプロファイルもきれいである。そのため、シンプルな拡大光学系によって照射される光のプロファイルも広範囲に均一にすることが容易であり、TOF(Time of Flight)用の光源としても、有用である。特にLEDに比べスペクトルが狭いため、水蒸気の吸収波長を避けることも可能であり、光を長距離に伝搬でき、他の光源よりも有利なTOFカメラが実現できる可能性がある。図1に想定される検出角度と検出可能な距離を計算した結果を示す。

図1

図1 TOFカメラでの視野角と距離。

「発光点の配置」→用紙銘柄識別リーダー・3次元計測・アイトラッキング

VCSELは結晶成長する際の基板方向に垂直に共振器を形成することで、光源を2次元に高密度に配置できる。このような複数光源をそれぞれ独立に制御することで、高密度の光書き込みができるため、プリンターにおいて、書き込み用光源として使用されている(5)。
VCSELを光学センサに利用した例として、用紙銘柄識別リーダー(6)、3次元計測(7)、アイトラッキングなどがある。紙種センサは商用プリンターに使用される数百種類を超える紙の銘柄、紙の厚さなどを検出し、用紙に合わせた最適な印刷条件を簡単な操作で設定するデバイスであり、VCSELの安定した偏光制御を使用して、用紙の特徴量検出を実現している。
 単一光源のレーザ光を散乱体である紙に照射するとスペックルが発生し、高精度な検出を阻害することが知られている。図2に示すような多チャンネルVCSELではそれぞれのチャンネルが異なる光源と見なすことができ、複数チャンネルからの光を同一箇所に照射することでスペックル発生を抑制することが可能である(図3)。この原理は3次元計測などにも応用されている。
 VCSEL は一般的なLEDに比べ強い光を高効率に照射できるため、かつ高精度な光量制御が必要な3次元計測に応用できる。
 また、アイトラッキング用光源として使用する場合、VCSELビームを被験体(眼球表面)に照射する際の位置をch切り替えによって、微小に照射位置を変えることが可能であり、それによって、眼球回転角の検出角度が広げることで、トラッキング性能を向上させている(8)。
 我々はfNIRSへの応用として、プローブの端面の1点から2波長の近赤外光を4方向(計8ビーム)に出射する構成を考案し、脳機能の近赤外脳機能計測への応用を試みた。高精度に配列されたVCSEL光源は光学系と組み合わせる
ことにより、ビームを正確かつ多方向に出射することが可能となるからである。

図2

図2 VCSELアレイ。

図3

図3 スペックル除去機能。

fNIRSの応用

近赤外光を利用し脳の賦活分布を非侵襲で計測する装置として、fNIRSがある。fNIRSは脳科学研究において、簡易な計測ツールとして広く利用されているとともに、医療用にも、「うつ病診断の補助」や「てんかん手術前検査」などが保険収載されている。現在研究されている中では、「ADHDの薬効判断(9)」「リハビリ(10)」への適応が期待されている。脳研究においては「機能性ネットワーク解析」が注目を集めている。機能性ネットワークは、脳の部位がそれぞれどのようなネットワークを作って機能しているかを解析する手法で、この解析によって、認知症、統合失調症、自閉症などを診断できる可能性がある。高価な装置であるfMRIを利用することで、機能性ネットワーク解析が可能であるが、健康診断のようなシーンでもっと簡易に計測するには、fNIRSのような簡易な計測装置が不可欠である。しかし、従来のfNIRSでは空間分解精度が不十分である。一般的なfNIRSは端面レーザを利用して、光ファイバを介して頭部に光を伝送する。しかし、近年、頭部表面に光源を配置して、小型、ウェアラブルのfNIRSの開発が進んでいる。一般的には、LEDを用いた例が多く、後述する拡散光トモグラフィ(DOT:Diffuse Optical Tomography)をできる機種も発売されている。光源としてVCSELを用いて、消費電力を低減している製品も発売され、補聴器レベルの大きさの製品も研究もされている。

多方向式DOTのコンセプト

拡散光トモグラフィ(DOT)はfNIRSを発展させた手法であり、生体内部の高精度・3次元的な機能的イメージングを行うことができる(11)。DOTは2次元平面に配置した検出器のデータから3次元のデータへ拡張する不良問題を解く。この画像再構成アルゴリズムには基本的に高精度な順問題解析と逆問題解析を必要とする。順問題では生体内の光伝搬モデルを解いて検出される光を算出し、逆問題解析では計算結果と実測値の差を最小にすることで、光学特性値の分布を求める。逆問題を解く際には、我々が以前提案した階層ベイズ推定法を用いた(12)。しかし、3次元再構成に必要な情報を得るためには、プローブ間隔15mm以下の高密度fNIRS計測が必要となり、実験をより複雑で手間の掛かるものにしている(11)。本研究では、プローブ間距離が狭い高密度化とは異なり、多方向光源と多方向検出器を用いることで、DOTを行うことのできる新しい計測方法を提案する(図4)。本方式は、1つのプローブから2波長4方向に近赤外光を発射し、受光プローブに入射した光を4分割に方位分割することで、脳血流の賦活エリアの空間分解能を向上させた方式である。多方向方式は図4に示すように、生体表面に対し、異なる方向に傾けて光を入射させることで、生体の中を伝搬する光が異なる伝搬経路を進み、情報量を増加させている。生体内に伝搬する光が方向性を有していることを仮定して、疑似的な高密度プローブを実現している(13)。

図4

図4 多方向fNIRSのコンセプト。

光学シミュレーション

 本多方向方式のDOTを実現するためには、斜めに入射した光をその方向性を維持していることを記述できる高精度な光学シミュレーションを行う必要がある。一般的にヒトの肌などの組織体における光の伝搬の記述は、拡散方程式でシミュレーションされることが多い。しかし、一般的な拡散方程式では、ビームの伝搬方向が情報として消去されている。それに対し、輻射輸送方程式では、ビームの走行方向が記述されている。しかし、この計算をするには、式が複雑になることで、計算に膨大な時間がかかることになり、頭部の光学モデルをmmオーダーのメッシュを切って計算するには現実的ではない。それに対し、解析的な解を導く方法ではないが、モンテカルロシミュレーションを利用する方法がある(14)。一般に公開されたシミュレーションツールもあり、今回は「MCX」を利用した(14)。MCXはGPUを利用するために、CUDAで記述され、1E9を超えるフォトン数の計算を実行できる。我々は、MCXを利用し方向性を持たせた光学シミュレーションを実施した。

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出典元
http://ex-press.jp/wp-content/uploads/2019/09/D_026-030_ft_VCSEL.pdf