光科学は我が国の成長の鍵!

川尻 多加志

国際光デー記念シンポジウム開催。世界は分岐点に立っている!

7月7日は七夕の日。天の川の両端に別れ別れとなった織姫と彦星が、1年に 1度だけ会うことができる特別な日だ。この 7月 7日に日本学術会議講堂(東京都港区)で「国際光デー記念シンポジウム」が開催された(主催:日本学術会議総合工学委員会 ICO分科会、共催:国際光年協議会)。
 ICOは 1947年の創設、53の各国委員会と OSAや SPIEなどの国際学会が加盟する国際科学連合体の1つだ。我が国では日本学術会議が対応組織になっている。ICO分科会は、ICOへの実際的な対応等を審議するとともに、我が国の光・量子科学技術の発展に資する活動を行うことを目的に設立された。

国際光年

まだ記憶に新しいが、2015年はイブン・アル・ハイサムの光学研究から1000年、マクスウェルの光電磁波説から 150年、アインシュタインの一般相対性理論から 100年、そしてカオの光ファイバ提唱から 50年と、光にとって節目となる重要な年であった。そこで、国連は光に関する新しい知識と光関連の活動を促進することの重要性を一般社会の中に浸透させていくために 2015年を「国際光年」と定め、ユネスコがその推進に関わることになった。その趣旨に賛同した多くの国際学術連合は、世界各地で様々なイベントを開催、参画した人数は 100万人とも言われている。
 我が国でも日本学術会議が中心となって市民への啓蒙活動に取り組み、2015年4月、記念シンポジウムが東大・安田講堂で開催され、同年 12月には活動を総括するためのシンポジウムが、同じく東大・安田講堂にて開催された。並行して、我が国の各学会・協会なども数多くの記念イベントを開催した。

国際光デー

ユネスコは 2018年から、新たに 5月16日を「国際光デー」に制定した。今回のシンポジウムは、この制定を記念するとともに、光科学技術の黎明期を振り返りつつ、今後の発展を期待するという趣旨のもと開催された。
 国際光デーを 5月 16日に制定した理由は、セオドア・H・メイマン氏が1960年のこの日にレーザ発振に成功したという主張に基づいている。今年、パリのユネスコ本部では、この日に第 1回目の記念イベントが行われた。一方、この日は米国でのCLEO開催期間中でもあり、重複を避けるために 5月 16日の日本での記念シンポジウム開催は見合わせることとなった。
 では、なぜ 7月 7日なのか?この日が七夕だから?実は、5月 16日にレーザ発振に成功したとするメイマン氏は 6月下旬、フィジカル・レビュー・レターに論文を投稿したが、掲載を却下されてしまう。当時メイマン氏が所属していたヒューズ社は急遽、ニューヨークのホテル・デルモニコで記者発表を行った。この日が 7月 7日であった。記者発表が論文掲載却下の日の前か後かは定かではないが、とにもかくにも 7月 7日は世の中にレーザ発振を周知させた記念すべき日ということで、この日のシンポジウム開催となった。

レーザの歴史と最先端研究

 シンポジウムは横浜国大教授の馬場俊彦氏(日本学術会議連携会員)の司会のもと、ICO分科会委員長の荒川泰彦氏(東大特任教授、同会議連携会員)による「開会挨拶と趣旨説明」でスタート、東大総長の五神真氏(同会議会員)による「挨拶」の後、東大名誉教授の霜田光一氏が「レーザーの黎明期」を、理研シニアディレクターの宮脇敦史氏が「光と脳科学」を講演、最後は法大教授の松尾由賀利氏(同会議会員)による「閉会挨拶」で幕を閉じた。

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出典元
http://ex-press.jp/wp-content/uploads/2018/09/p44-45_event.pdf