トルンプ社、リスクを恐れず前進

コナード・ホルトン、アンドレアス・ソス

独トルンプ社(TRUMPF Group)副会長のピーター・ライビンガー氏(Peter Leibinger)と同レーザ部門社長のクリスティアン・シュミッツ氏(Christian Schmitz)が、レーザ技術の過去、現在、未来に対する自身の関心と考えを語ってくれた。企業経営に携わる人物にやや個人的な形式で話を聞く、またとない機会となった。Laser Focus World誌の編集者であるコナード・ホルトン(Conard Holton)とアンドレアス・ソス(Andreas Thoss)は、ミュンヘンで開催されたLASER World of PHOTONICS 2017でこのような機会を得た。感銘を受ける長い会話となり、いくつかの意外な洞察も得られた。

Laser Focus World(LFW):最も魅了されるレーザイノベーションは何か。

ライビンガー氏:もちろんEUV(extre­me­ultraviolet:極端紫外線)だ。アイデアを最初に議論してから実験と試作の段階を経て、今では最終製品が登場して世界中にインパクトを与えるに至るまでの進展を目にすることができた、めったにない例の1つだった。パルスレーザでスズ液滴を加熱して30か35kWの平均出力を生成すること、EUV光を生成すること、ウエハ上にイメージを投影して原子数個分の幅のサイズの形状を生成することという純粋な科学的課題に魅了される。
 技術や科学的課題に対する純粋な興味と、世界にインパクトを与えることはまったく別のものである。失敗すれば、ムーアの法則が途切れる。もちろん、世界がトルンプに依存しているとは言わない。しかしトルンプがなければ、チップ業界はそれを成し得なかった。そのインパクトの範囲はチップ業界だけにとどまらず、スマートフォン業界や電子デバイス業界全体に及び、業界は業務のありかたを変えなければならなくなったほどだ。
 私にとってこのプロジェクトは、パートナーなしでは何事も成し遂げられないという基本的信念を再確認する機会にもなった。われわれはレーザ業界という特異な業界にいる。この業界は、非常に競争が激しい一方で、非常に協調性が高い。その相乗効果が、この目覚ましい成長と高度なイノベーションにつながっている。成長は競争から生み出される。イノベーションは協調から生み出される。協調(コラボレーション)がなければ、EUVで今行っていることはできなかったはずで、そのことを身にしみて実感した。

ピーター・ライビンガー氏

ピーター・ライビンガー氏(Peter Leibinger)は、トルンプグループ経営陣の1人。2017年7月1日に、各部門の運営責任者から同社の成長領域を担当する責任者へと異動になった。同グループの研究開発に加えて、販売とサービスを統括する。

シュミッツ氏:私が最も魅了されたのは、ディスクレーザの概念だ。最初は、レーザダイオードをレーザの励起に使用すれば、より効率の高い固体レーザが実現できるぐらいにしか考えていなかった。しかし、これだけ幅広い分野に応用されるようになるとは思っていなかった。

クリスティアン・シュミッツ氏

クリスティアン・シュミッツ氏(Christian Schmitz)は、2017年7月1日付けでトルンプグループ経営陣に加わった。ピーター・ライビンガー氏の後任として、レーザ技術/エレクトロニクス部門の統括を引き継いだ。

LFW:ライビンガー博士のお父様が、1970年代初頭に米国中を旅して、たまたま立ち寄った会社で、当時は高級車よりも高額だったCO2レーザを購入したという伝説があるが。

ライビンガー氏:フォトンソーシズ社(Photon­Sources:現在は米ノヴァンタ社[Novanta])の「Gravestone」という製品で、グラナイトの厚板上に作られていた。

LFW:あなたにも似たような冒険談があるか。それはどのようなものだったか。

ライビンガー氏:似たような経験が2度ある。1度目は2000年のレーザダイオードだった。特にその高い出力から、これは将来、レーザ業界の基礎になると気づいた。
 私は当時米国にいて、テレコムバブルとドットコムバブルの最中にいた。トルンプ米国法人の近くに、SDL社という企業がコネチカット州ブルームフィールドにあった。コネチカット州ファーミングトン(トルンプ米国本社所在地)からわずか30分ほどの距離だった。SDL社は、米JDSユニフェーズ社(JDS­Uni­pha­se)に数十億ドルで買収された。
 トルンプは戦略的ジレンマに陥る危険性があると思った。当社はこの基礎技術を利用する必要があったが、それが入手不可能になりつつあったからだ。入手不可能というのは、垂直統合が必要だとしてもレーザダイオードメーカーを買収することはわれわれにはまず不可能だったというだけでなく、テレコム業界に数百万単位で製品を販売できるようになれば、レーザダイオードメーカーはもはや、数千単位の高出力デバイスをわれわれに販売することに興味を示さなくなるだろうという状況にまで達していたからである。
 そこで、父がトルンプ米国法人を訪れた際に、独自のレーザダイオード製造工場を開始する必要があると説得した。続いて独自の製造工場の立ち上げを支援してくれるアドバイザー探しを始めたが、すぐにIPを保有することの方が重要な問題であることに気づいた。当時すでに1万件を超えるレーザダイオード関連特許が存在していたためである。
 そこで出会ったのが、米プリンストン・ライトウエーブ社(PLI:Princeton­Lightwave)だった。同社は、ニュージャージー州にあるサーノフ・リサーチ・インスティテュート社(SarnoffResearch­Institute)のスピンオフ企業だった。この企業に、ドミートリ・ガルブゾフ氏(Dmitri­Garbuzov)という非常に独創的な研究科学者がいた。彼は、ブロードエリア導波路の特許を申請していた。誰もがこの技術を利用していて、それがわれわれにとってその市場への入場カードになった。その後の展開は誰もが知るとおりだ。市場は崩壊し、われわれはPLI社にアドバイスを受ける代わりに、その特許とアセットを買い取った。2002年には独自にプリンストンの事業を開始し、現在は約250名がそこに勤務して、年間30MWを超える励起出力を生成している。

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出典元
https://ex-press.jp/wp-content/uploads/2017/11/P14_market_insights.pdf