産業への応用が開始された量子カスケードレーザ

ボブ・シャイン、ピーター・R・ブエルキ、ティム・デイ

研究や軍用の中赤外装置として知られる可変同調量子カスケードレーザシステムは、手術に使われる麻酔ガスの検出、流出する化学物質や製造現場で見つかる有害物質の同定といった分光測定への応用が開始されている。

電磁スペクトルの中赤外線の部分(約3〜20μm)は非常に豊かな分光領域になる。1994年に初めて登場した量子カスケードレーザ(QCL)は小型化が進み、広い利得帯域幅、高い輝度、高いパワーなどの性能を向上させながら、この分光領域における応用を拡大してきた(1)。QCLは学術研究用ばかりでなく、広範な用途において商業的にも重要な技術であるというのが初期の大方の評価であったが、最初の極低温冷却QCLから実用可能な産業装置への移行を実現するには大きな技術進歩が必要であった。
 研究分野での初期の利用は使用可能な波長の拡大と同調性能の向上をもたらしたが、防衛分野での必要性は出力と信頼性の改善を推進した。現在われわれは、これらの改善が組み合わされたことによる商業利用の現実化をまのあたりにしている。
 量子カスケードレーザは可視および近赤外半導体レーザのほとんどすべての特徴を組み合わせたいくつかの利点が得られる。競合する可視と近赤外の半導体レーザと同様に、QCLは小型の固体デバイスであり、通常のリン化インジウム(InP)とヒ化ガリウム(GaAs)のエピタキシャル成長装置を用いた成長が行われる。しかしながら、QCLの発光波長は材料のバンドギャップではなく、導波路の厚みから決まるため、中赤外では広い波長範囲を得ることができる。
 もう1つの利点はデバイスの単極性にあり、そこでは単一電子が素子構造の伝導バンド内部の多重量子井戸を「滝のように(カスケーディング)」流れて多数の光子を放出する。このようにして、高パワーの高効率デバイスと数ワットの動作が実現された。
 QCLの利得帯域幅は非常に広く、中心波長の20%以上になる。しかしながら、分子の同定、撮像、分光などへの応用では狭い帯域幅と広い同調範囲への改良が必要になる。このことは米デイライト・ソリューションズ社が同社のECqcLデバイスで実証したように、QCLを外部共振器の内部に配置することで可能になる(2)。回折格子からのフィードバックによってQC 利得帯域幅内の出力波長は選択され、選択された波長は回折格子の回転によって同調される。この設計はマルチスペクトルが得られるため、分子種の同定と特性評価が可能になる。
 多くの新しい技術の場合と同様に、広帯域で同調可能な初期のQCLは研究分野で採用された。パルスと連続波の両方の動作が可能であり、固定同調に加えて、狭い可変同調(約30cm−1)、
中位の可変同調(約100cm−1)または広い可変同調(>350cm−1)範囲が選択できることで、さまざまなニーズへの対応がさまざまな価格帯で可能となった。また、広い範囲(最大120cm−1)でのモードホップフリー動作も実現された。波長範囲は初期の3.2μm(C‐H伸縮振動に重要)から12μm以上にまでの拡大が実証された。さらに、400mW以上の出力パワも得られるようになった。
 この技術の初期のもう1つの利用は防衛分野であった。最近の軍用のQCLは赤外線防衛兵器、標的照明、爆発物の遠隔検出などに応用されている(3)。これらの応用は高耐久性レーザシステムの開発につながり、きびしい温度と振動環境での動作が可能になっている。
 これらの要求には−54℃から+71℃の温度範囲と20Hz から2kHz の6Grms振動加速度を同時に満足し、20G のピーク振幅の衝撃に耐えなければならない。これらの要求は商業用のほとんどの要求を上回る。
 分光研究用に要求される精度と苛酷な軍用での実証が組み合わされて、揮発性有機化合物(VOC)や危険物質の研究を含めた商業利用の機会が開かれた。

麻酔ガスの検出

VOCに曝される職場は広い同調範囲と高速の走査速度を持もつ外部共振器QCLの価値が実証される産業分野の一つになる。この場合のシステムは広い範囲の分子の同定と定量が必要となり、過渡的な危険物質の曝露を実時間で分析しなければならない。
 その一例には医療従事者が経験する麻酔ガスのリスク、つまり手術中の患者の呼吸装置や回復中の患者の吐息かのガス漏れがある(4)。このリスクの解析と安全のための監視は、病院で使用されるさまざまな麻酔ガスや他のVOCが存在することにより複雑になる。この環境における感度と特異性は監視用の赤外分光法を必要としてきた。
 これらの要求に対応して、デイライト・ソリューションズ社は、高速同調可能な広帯域可変同調中赤外レーザ光源、光電子検出器、システム制御とデジタル信号処理の電子回路、多重光路セルガス操作、オプトメカニクスなどのビルディングブロック技術を統合したSwept Sensorを開発した。この装置の設計は電力消費を最小化し、通常の電池による動作を可能にしている。この装置はソフトウエアとファームウエアコードを使用して、吸収データの取得と解析を行い、分子の濃度を決定する。
 Swept Sensorの試験は病院の手術設備を使用し、ヒツジの心臓を切開するときの麻酔ガスを監視して行われた。
麻酔ガスはイソフルランが使用された。Swept Sensorは米サーモ‐エンバイロンメンタルシステムズ社(Thermo-Environmental Systems)のMIRAN Sapph-IRe携帯型周囲空気分析計と並べて比較された。MIRAN SapphIReは職場VOCの監視用ガスセンサとして業界をリードしている。
 手術時の2つのガスサンプリング用具は相互に近付けて配置され、手術室の空気のサンプリングと麻酔設備からのガス漏れおよび手術台上の麻酔ガス濃度の測定が周期的に行われた。Swept Sensorの場合は測定を適宜に中断してデータ解析用のバックグラウンド測定も行われた。

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出典元
https://ex-press.jp/wp-content/uploads/2012/01/201201_0034feature04.pdf