ロシアの産業レーザ市況

エフゲニー・モルチャノフ

好調な自動車産業が成長を後押し

ロシアのレーザ市場には、歴史的な伝統が根付いている。ソビエト連邦(ソ連)時代に、高度なレーザ技術教育が施されたためであり、プロトタイプの第一号は1955年に作られた。ソ連人科学者、ニコライ・バソフ氏(NicolayBasov)とアレクサンドル・プロホロフ氏(Aleksandr Prokhorv)は、量子エレクトロニクスの分野に貢献し、メーザー・レーザの原理に基づく発振器と増幅器を生み出したとして、1964年にノーベル物理学賞を受賞している。 
このように相当な学術的基盤はあったものの、産業向けアプリケーションが限定的で、レーザ技術によるスケーリングも存在していなかった。レーザ技術が初めて適用されたのは、1968年にモスクワで行われた眼科手術で、1973年までに200台以上の装置が製造された。1980年代にはレーザ切断が行われ始めたが、政治情勢の影響で多くのアプリケーションが停止した。 
1990年代、産業協力と経済関係の崩壊により、新たに結成された独立国家共同体(CIS)の経済は急速に縮小した。旧ソ連の人々にとっては、事業立ち上げ許可があったことが唯一の頼みの綱となったが、一概に経済状況が悪く無意味なものであった。 
多くのロシア人技術者・科学者は、1990年代に自国を去って欧州や米国に渡り、大半が企業で職に就いたが、事業を立ち上げた者もいた。最も成功を収めているのが、ロシア人科学者、バレンティン・ガポンセフ氏( ValentinGapontsev)により創業された米IPGPhotonics社である。同社は、ファイバレーザの多様なアプリケーションを展開し、レーザ光源市場に変革をもたらした。その他、独LIMO 社、独Hyper tech Laser Systems社、米O.R.Laser technology社も、バックグラウンドにロシアの科学技術がある。Hypertech Laser Systems社は、美容皮膚科部門で世界を牽引しており、ロシアとドイツの協力に携わっている。

産業レーザ市況

1990年代、CIS諸国の製造業は縮小し、再浮上を見せたのは1998年以降のことだ。原油価格がロシア経済を後押しし、政府が輸送システム再建を始め、製造業を支援した。また、機関車・貨車メーカーが、他産業で幅広く使われていたレーザ切断機や産業レーザ技術の適用を開始した。 
市場が拡大したにもかかわらず、国内に存在感のあるレーザ切断機メーカーが欠如していたため、独TRUMPF社、スイスのBystronic社、アマダホールディングス、伊Prima Power社などが2000年代にロシアに進出した。一方、IPG Photonics社は製造施設をロシアに建設し、レーザ切断やその他アプリケーションにおけるファイバレーザの主要サプライヤーとなった。2000年代のトレンドは、レーザ機器製造の現地化とレーザの融合だと言える。 
その結果、2008年、ロシアのレーザ市場規模は1億ドルに及び、レーザ切断機が最大のシェアを占めた。レーザ切断機サプライヤーとして市場を牽引し続けているのが、TRUMPF 社だ。同社が多くのロシア人顧客から選ばれる理由は、その幅広い経験と現地倉庫にスペアパーツをストックするなど、信頼性のあるアフターサービスにある。ロシアは、5〜15機のレーザ切断機や、ベンディング、溶接、塗装などの用途を目的とした設備を擁する生産店舗を作ることで製造業を一新し、レーザ切断サービスのシェア拡大に繋げた。 
次世代の先進運転支援システム(ADAS)と自動運転車は、物体検出のためにカメラと組み合わせたライダ技術を必要とし、技術系新興企業の発明家らの協力を得た。また、現地の自動車メーカーは大学と提携し、ライダを取り入れたADASの開発ソリューションに取り組んでいる。

ロシアの産業レーザ市況

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出典元
http://ex-press.jp/wp-content/uploads/2018/09/p28_technology_report_Russia.pdf