2. なぜ光を使うのか
光量子コンピュータは、光の量子状態に情報を持たせ、光学素子による操作と測定によって計算を実行する方式である。数ある物理系のなかで光が選ばれる理由は主に四つある。主要部が常温で動作すること、光通信のために蓄積された技術をそのまま使えること、時間方向に多重化して規模を広げられること、そして電磁場の振幅をアナログ量のまま計算に使えることである。
2-1. 常温で動作する理由
光量子コンピュータの主要部、すなわち量子状態の担体である光と、それを操作する光学回路は、常温で動作する。他の方式では量子状態を保つために低温が要り、冷却設備を装置の中心に据えなければならないが、光方式にはその必要がない。
ある温度で動作するかどうか、つまりモードが熱的に励起されないかどうかは、熱平衡状態における平均光子数(thermal photon number)で決まる。周波数 ω のモードが温度 T の環境と熱平衡にあるとき、そのモードを占める平均光子数 は
となる。量子計算は光のモードの真空を出発点とするため、 が十分小さいことが前提となる。 が大きい場合は温度 T を下げる、つまり冷却する必要がある。
通信波長帯の 1550 nm の光を常温で用いる場合を考える。このとき ℏω を温度に直すと約 9,300 K にあたり、常温 300 K に対して計算すると は 10−14 程度まで落ちる。モードは事実上真空であり、冷やす必要がない。一方、超伝導量子ビットでも同様に考えてみると、6 GHz のエネルギー間隔は温度に直すと約 0.3 K となり、常温では は千個程度に達してしまう。冷却して動作温度を 20 mK まで下げると は 10−7 程度になり、真空が得られる。
ただし、光方式であっても装置全体が冷却不要になるわけではない。光子の個数を識別する検出器として用いられる超伝導転移端センサ(TES)などは、極低温を必要とする。
2-2. 光通信の技術をそのまま使える理由
光量子コンピュータが使う光の波長帯は、光通信で使われている帯域と重なる。通信波長帯、いわゆる C バンドである。したがって光ファイバー、変調器、分岐・結合素子といった、光通信のために長年かけて蓄積されてきた部材と製造技術を、装置にそのまま利用できる場合がある。量子情報のために部材をゼロから起こす必要がない。
この一致は偶然ではない。光の量子状態を扱う実験は、もともと 860 nm 帯で行われていた。しかしこの波長帯では石英導波路中の損失が大きく、光回路を集積化するうえで壁になる。そこで 2019 年に通信波長帯への移行が行われた。低損失な帯域を使いたいという要請を、光通信と共有していることになる。
伝送と計算が同じ媒体で行われることも利点の1つである。量子状態を別の物理系に変換せずに送れるので、離れた装置をつなぐ構成や量子通信との接続に向く。ただし既存の部材がそのまま使えない場合もある。量子状態の伝送では損失の許容値が古典通信より格段に厳しく、古典通信では問題にならない程度の損失が計算の破綻につながる〔→ 8-5. 光損失という上限〕〔→ 「光損失とデコヒーレンス」〕。
2-3. 大規模化できる理由
量子ビットを空間に並べる方式では、計算の規模を増やすことは素子を増やすことと同じである。量子ビット 1 個ごとに状態を操作する制御線と結果を読み出す配線が要るため、素子数と配線数が規模に比例して増えていき、装置の巨大化が避けられない壁になる。
一方、光では、装置を大きくするのではなく時間方向の工夫によって計算の大規模化が可能である。同一の光路を通る光パルスを遅延線で時間的にずらせば、異なる時刻に存在するパルスをそれぞれ独立したモードとして扱える。モードを一つ増やすことはパルスを一つ増やすことであり、光路も光学素子も同じものを使い回すことで、素子数を増やさずにモード数を増やすことができる。これが時間方向の多重化である。
この方法が成り立つのは、パルスを次々に生成しては測定していく構成を取れるからである。状態をどこかに保持しておく必要がないので、扱えるモードの総数はコヒーレンス時間に制限されない。ただし、この構造は制約も生む。モード数を増やすほど光が通る距離と待ち時間が増え、そのあいだ損失が蓄積していく。規模の上限を決めるのは素子数ではなく損失である。どう実装するかは〔→ 6-5. 測定誘起型量子計算と時間領域多重〕、何が上限を決めるのかは〔→ 8-4. 大規模化の制約〕で扱う。
2-4. アナログ量のまま計算できる理由
1-4 で説明したように、光の量子状態に情報を持たせる方法には離散量方式と連続量方式の二通りがある〔→ 「離散量方式と連続量方式の違い(discrete variable / continuous variable)」〕。電磁場の振幅はもともと連続的な、つまりアナログな量であり、連続量方式ではそれをそのまま情報の担体にする。
この方式が計算資源として使う状態は、必要なときに必ず用意できる。スクイーズド光も、複数のモードにまたがる量子もつれも、装置を動かせば決まった手順で得られる。うまくできるまで試行を繰り返し、成功したものだけを選んで使うという工程が、計算の途中に入らない。これを決定論的な生成と呼ぶ。読み出しの側も同じ量で扱える。連続的な値はホモダイン検出という方法で、高い効率のまま測定できる〔→ 6-3. ホモダイン検出〕。
一方で、誤り訂正の枠組みは作り直すことになる。連続量では誤りが値のずれとして連続的に入るため、0 と 1 のどちらに転んだかを見る離散量方式の方法をそのまま持ち込めない。別の仕組みが要る〔→ 8-3. 誤り耐性と量子誤り訂正〕。
光を選ぶ利点は以上の四つである。これらが他の方式と比べてどういう位置にあるのかは〔→ 3. 他方式との違い〕で扱う。
