ファイバーレーザーとのもう一つの出会い
【太陽光励起とLasing T-Shirt】
【日本宇宙フォーラム】
1996年の夏、宇宙航空技研(三鷹)の江口さんが訪ねてきて、日本宇宙フォーラムに新しく設置される宇宙環境研究準備会に参加するように要請された。それまで重力波研究に関係していても、宇宙関係の研究などしたことなかったが、国立天文台の海部宣男教授らも参加するということで、畑違いの日本宇宙フォーラムに参加することになった。
このような委員会が設置された理由は参加してはじめて分かった。ちょうど、国際協力で宇宙空間実験室である宇宙ステーション「きぼう」が打ち上げられて、日本は出資国の一つとして、独立した実験プラットフォームを割り当てられた。世界の主要国、米国、欧州各国、ロシア、日本などがおのおの各国の実験プラットフォームで宇宙空間でなければできない研究を競い合う、いわば研究オリンピックが始まろうとしていた。そのとき、宇宙開発事業団ははたと困ったというのだ。
日本にはボトムアップで研究者が自由に研究提案が許されない2つの分野があった。一つは核開発研究で、もう一つが宇宙技術である。これらについては、内閣直属の原子力委員会と宇宙開発委員会があって、政府が決めた研究課題をトップダウンで行なうだけで、自由な研究は許されてこなかった。そのため、宇宙関係研究は宇宙開発事業団に集中しており、政府は基本的に米国NASAの研究を後追いするか、下支えする研究に限定してきたため、大学研究者も自由な発想をすることがなかった。ところが宇宙ステーションでは、急に自由研究競争が始まったわけで、それまでの日本が分担していた、宇宙空間における摩擦の研究のような地味な技術研究ではとても太刀打ちできないので、それまで無縁だった研究者を組織して、公募研究によって基礎的な分野の発想力を導入しようとした。
このような事情は、その前後にフランスのChristophe Salomonが電通大レーザー研を訪問し、彼はフランスで宇宙空間で原子泉時計の実験を計画しており、将来の宇宙標準時を目指すとの講演をしたことで海外研究者の質の高さがよく分かった。ちなみにSalomonは冷却原子の研究でノーベル賞を受賞したCohen Tannoudjiの愛弟子である。
公募研究の審査委員会といっても、急に一般から公募しても、これまで自由な研究を許さなかった環境では応募自身があるはずはない。そこで、準備会の委員は、おのおのの分野であるべき研究提案を考え、互いにそれらを検討しながら公募開始に備えることになった。当然、植田には、宇宙におけるレーザー研究が課題として与えられ、1年間の準備会の間、提案と議論を繰り返した。
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