ファイバー線引き機と巻き取り装置
ちょうど、フォトンテクノロジー国家プロジェクトが始まった1990年代後半には、あれほど盛んだった光通信技術への熱狂が冷めつつあった。というのも、光ファイバー通信技術の重要性は誰もが知る常識となり、世界中で光ファイバーネットワークが構築されるようになった。そして人類社会を大きく変える光通信ファイバー網の構築は、急速な技術開発と共に、どんどん高速化が進み、社会の隅々にまで浸透する重要技術となった。その一方、VAD法を開発して光ファイバー技術に革命をもたらしたNTTの伊澤達夫さんが嘆いたように、社会応用は爆発的に拡大したが、その一方、極端な競争の結果、光通信用デバイスの価格は1000分の1になってしまい、関連会社の誰も儲からないことになってしまった。大きな開発資金を投入してきわめて高度な技術を開発したが、それが普及した段階では開発投資に見合わない不採算事業になったというのだ。
技術開発の皮肉な側面を見た思いがした。結果、光ファイバー技術の生みの親である米国コーニングは日本のファイバーメーカーに押されたこともあり、一時、経営不振に陥って事業を縮小させ、ファイバー線引き機をインターネットオークションで販売する事態にもなっていた。それは格安で最先端機器を処分することで、米国ではそのような機会に先端機材を購入してベンチャー企業が創業することも珍しくないようだ。
電通大レーザー研は10年時限の研究センターであったので、次期計画を策定して概算要求をする必要があった。J. Hall, R. Byer,C. Tannoudji等そうそうたるメンバーで構成された国際外部評価も実施したところ、セラミックレーザーや高出力ファイバーレーザー研究が高く評価され、1999年に1年早めてレーザー研の改組、継続が決定された。その時期、植田もコーニングと仲介してくれる方と相談して、電通大レーザー研に隣接するファイバー線引き用の建屋を考えた時期があった。残念ながら、巨大な建屋が必要な線引き機を導入することは断念した。同時期に考えた三菱電線の研究用ファイバー線引き機の譲り受けは阪大レーザー研に譲ることにした。ただ英国サウザンプトン大学の例を見てもファイバー線引き機を活用するには、装置だけではなく、専任の有能な技術者を常雇いすることが必要で、日本の大学、特に時限付きの研究センターでは無理だと考えた。
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